ぬくだまPV☆できました
2010年04月03日
距離感
今日、買い物に出かけた先でエスカレーターに乗りながら、
聞き慣れたアナウンスに耳を傾けて驚いた。
「よい子のみなさん、
エスカレーターの周りでは遊ばないようにしましょう」
これはいつもの通り。
その後に、
「エスカレーターを降りるときは立ち止まると危険です。
ポンと足を前に出して降りましょう。」
!!!!?
最近の子供の運動能力の低下はニュースなどで聞いていたけれど、
足の蹴りだし方までアナウンスで教えないと
エスカレーターから降りられない程なのか??
そんな驚きを感じながら、
以前、山で出会った少年のことを思い出しました。
* * * * * * * *
鳥取県にある、投入堂に行った時のこと。
投入堂は断崖絶壁に立つお堂で、拝観するには
這いつくばって登るような岩場など
少々ハードな修験の山道を通らなければいけない。
その日はゴールデンウィークでたくさんの人で賑わっていた。
急な山道は厳しいけれど、
山の空気と、初夏の日差しがさわやかで
すれ違う人と道をゆずりあい、挨拶を交わしながら
テンポ良く登っていく。みんな笑顔。
その中に彼はいた。
身長は160センチ程。中学生くらい。
細身ではあるがしっかりとした体つき。
でも、その足取りはとてもたどたどしく、
特に岩場では50センチ先の岩に足がすっと伸ばせない。
よじ登るために、どの岩に手をかければいいのか
腕と足でどう自分の身体を持ち上げればいいのか
それがわからない様子だった。
もしかしたら普段、外に出て遊ぶことがないのかもしれない。
”だから僕は来たくなかったんだ”
というような少年の表情と、
そんな少年を励ますご両親のぎこちない雰囲気からみて
普段からあまり親子関係が密接ではないような印象を受けた。
坂がひと段落した休憩所で
「もう無理だ」と少年が泣き出した。
「あと少しだから」と励ます父。
私たちは、心配ながらも
そのいきさつを見届けることなく先に進み、
無事に投入堂を拝観し、帰る道で
ご両親とすれ違う。そこに少年の姿はなかった。
* * * * * * * *
人は心を閉ざすと、自分の身体への感覚も鈍ってしまいます。
緊張がぬけなかったり、
力が入りすぎたり、
自分にとって心地よい身体の動かし方が
わからなくなってしまうのです。
そして、身体が緊張が抜けず、
心地よいあり方がわからなくなると
人と心地よい距離感を取ることも
難しくなってしまいます。
人間関係がうまくいかないなと思ったとき、
自分の性格を変えようとか
心の方向性を変えようとしがちですが、
そんなときこそ、自分の身体と向き合ってみてください。
身体の緊張は傷ついた心を守る鎧です。
これも生きるために必要な
自己防衛の本能の働きです。
だから悪いことではないんです。
でも重たい鎧は身動きがとりにくいし
皮膚の感覚が鈍ってしましますよね。
だから鎧を着れば着るほど
人との距離感を図ることが難しくなってしまうんです。
このスパイラルを抜けるには
自分にとって安心で心地いい身体をつくり、
着込みすぎている鎧を少しづつ脱いで
自分の持っている感覚をよみがえらせると、
きっと心地いい人間関係の距離感がつかめるように
なってくると思います。
そうゆう意味で、心の面からみても
子供たちの身体感覚の低下はとても心配です。
もっと子供が好奇心のままにのびのびと動けるように
大人たちが上手にサポートしていく必要があるなと感じています。
聞き慣れたアナウンスに耳を傾けて驚いた。
「よい子のみなさん、
エスカレーターの周りでは遊ばないようにしましょう」
これはいつもの通り。
その後に、
「エスカレーターを降りるときは立ち止まると危険です。
ポンと足を前に出して降りましょう。」
!!!!?
最近の子供の運動能力の低下はニュースなどで聞いていたけれど、
足の蹴りだし方までアナウンスで教えないと
エスカレーターから降りられない程なのか??
そんな驚きを感じながら、
以前、山で出会った少年のことを思い出しました。
* * * * * * * *
鳥取県にある、投入堂に行った時のこと。
投入堂は断崖絶壁に立つお堂で、拝観するには
這いつくばって登るような岩場など
少々ハードな修験の山道を通らなければいけない。
その日はゴールデンウィークでたくさんの人で賑わっていた。
急な山道は厳しいけれど、
山の空気と、初夏の日差しがさわやかで
すれ違う人と道をゆずりあい、挨拶を交わしながら
テンポ良く登っていく。みんな笑顔。
その中に彼はいた。
身長は160センチ程。中学生くらい。
細身ではあるがしっかりとした体つき。
でも、その足取りはとてもたどたどしく、
特に岩場では50センチ先の岩に足がすっと伸ばせない。
よじ登るために、どの岩に手をかければいいのか
腕と足でどう自分の身体を持ち上げればいいのか
それがわからない様子だった。
もしかしたら普段、外に出て遊ぶことがないのかもしれない。
”だから僕は来たくなかったんだ”
というような少年の表情と、
そんな少年を励ますご両親のぎこちない雰囲気からみて
普段からあまり親子関係が密接ではないような印象を受けた。
坂がひと段落した休憩所で
「もう無理だ」と少年が泣き出した。
「あと少しだから」と励ます父。
私たちは、心配ながらも
そのいきさつを見届けることなく先に進み、
無事に投入堂を拝観し、帰る道で
ご両親とすれ違う。そこに少年の姿はなかった。
* * * * * * * *
人は心を閉ざすと、自分の身体への感覚も鈍ってしまいます。
緊張がぬけなかったり、
力が入りすぎたり、
自分にとって心地よい身体の動かし方が
わからなくなってしまうのです。
そして、身体が緊張が抜けず、
心地よいあり方がわからなくなると
人と心地よい距離感を取ることも
難しくなってしまいます。
人間関係がうまくいかないなと思ったとき、
自分の性格を変えようとか
心の方向性を変えようとしがちですが、
そんなときこそ、自分の身体と向き合ってみてください。
身体の緊張は傷ついた心を守る鎧です。
これも生きるために必要な
自己防衛の本能の働きです。
だから悪いことではないんです。
でも重たい鎧は身動きがとりにくいし
皮膚の感覚が鈍ってしましますよね。
だから鎧を着れば着るほど
人との距離感を図ることが難しくなってしまうんです。
このスパイラルを抜けるには
自分にとって安心で心地いい身体をつくり、
着込みすぎている鎧を少しづつ脱いで
自分の持っている感覚をよみがえらせると、
きっと心地いい人間関係の距離感がつかめるように
なってくると思います。
そうゆう意味で、心の面からみても
子供たちの身体感覚の低下はとても心配です。
もっと子供が好奇心のままにのびのびと動けるように
大人たちが上手にサポートしていく必要があるなと感じています。
Posted by hidamari at 02:24│Comments(0)
│えんがわ日記